|
|

|
|
|
| HOME
| 掲示板
| 会社案内
| メルマガ登録
| バックナンバー
| お問い合わせ |
|
|

|
|
メールマガジンバックナンバー
|
|
|
[2008/07/14] 「私の復活方法」復活ノート・・・128 おまけ「今日も、ムーズが降りてきた〜きみと漫才を〜」
復活ノート
「新しいビジネス、出でよ」
新しいビジネスを考案・企業化するためには、まず社会を見ることだと何回も言ってきま
した。
今、どこにでもある時間制パーキングも、バブル後の街の様子から生まれました。
街中には、地上げの途中で放置された空き地、廃墟と化したビルがあふれていました。こ
れを見て、ビジネスに結びつけらないか考えた人がいるのです。
それは、空き地やビルのオーナーにとっても好都合だったのです。
次回のバブルまでのつなぎのビジネスになると考えられたのです。
社会も、厳しい駐車違反の取締りが行なわれるようになり、それを歓迎するようになりま
した。
現在は、カラオケ、コンビニのように飽和状態に近づき、「一日最大いくら」の競争も見
られるようになりました。
今は、街を歩いてみても、「塩漬け」されたものが目につきにくくなってきました。
今回は、社会の中を見ましょう。
「リサイクル」、「社会資源」、「地域」。この三つのキーワードが、現代の社会を規定
しています。
それでは、このキーワードで、ビジネスを考えてみることにします。
「リサイクル」は、世界的な流れです。
再生紙などのように、リサイクルをするより新しく作るほうが安いということが認められ
なくなりました。
「社会資源」は、つまり人及び人の能力です。
介護保険法の成立のときは、高齢化社会になると、今まで個人的な問題だと考えられてき
た介護を、社会でしましょうという趣旨だったのです
(しかしながら、介護保険の費用が重なるようになると、つまり赤字が出てくると、療養
型病院やリハビリがけちられるようになりました。
その上、「介護はお家で」という方向になりつつあります)。
「地域」については、前回の「地産地消」でも言いましたが、
「地域で作ったものを地域で食べる」ということだけでなく、人の生活は、今住んでいる
地域と深く結びついています。
ベッドタウンの住民は、「千葉都民」などと揶揄(やゆ)されがちですが、
地域の学校に通う子供だけでなく、「会社人間」を卒業した人も、地域の人間関係が生活
を支えてくれるからです。
デンマークなどは、町全体が介護がしやすいようにできています。
また、ドイツでは、ボランティアが、自宅で他人の子供の世話をしてくれる制度もありま
す。
私の知りあいはドイツにいますが、5人の子供がいるのもかかわらず、その制度のお陰
で、無事大学を卒業することができました(主人は大学教授です)。
もちろん、ヨーロッパは宗教的な素地があるからともいえるでしょうが、
日本の場合、親戚づきあいも希薄になっていますから、孤立する家庭はますます増えてく
るでしょう。
それを防ぐには地域しかありません。「新しいビジネスで、新しい地域を」というテーマ
で、次回も。
おすすめメルマガ
------------------------------------------------
良い人材を集めたい、お客様に支持されたい、社員の
家族の応援を受けたい中小・ベンチャー企業経営者へ。
次世代育成支援のしくみを知れば経営に活かせる!
そのカラクリは、このメルマガで。
10年後、あなたの会社にみんなついて来たがる!
「次世代育成支援対策推進法は、21世紀の経営資源」
メールマガジンの登録はこちらから
http://www.mag2.com/m/0000151089.htm
------------------------------------------------
今日も、ムーズが降りてきた〜きみと漫才を〜
「接して漏らさず」あるいはチュートハンパ考(3)
そうやな、藤あや子と二人だけで無人島に取りのこされたら、ほとんどのもんの「寝た
子」は起きるやろな
(せやけど、この設定は中学生がようするやつやな。もしそうなったら、藤あや子も、着
物を着た妖艶な格好やないやろし、魚捕まえてかじっているはずや)。
それはええのやけど、電車の中、会社の中、真っ暗な通りを、無人島と勘違いする「寝た
子」がいる
(最近、家に帰っても、ずっと寝たままの「寝た子」が問題になっているけど)。
へんなときに「寝た子」が起きないようにするために、まず「あめちゃん」に近づかない
ことやな。
君子危うきに近寄らず、とゆうことや。
せやけど、社会で生きていくためには、そうばっかりでけへん。
それなら、「接してもらさず」を会得するしかない(
「わしは、いつも『接して漏らさず』や。いつも途中で寝てしまうからな」は話になら
ん)。
この言葉は、貝原益軒が、「養生訓」で長寿のための「なんやかんや」を解説している一
つとゆうことは誰でも知っている(元々中国の教えらしいけど)。
家庭円満、老後の健康などが、一つのキャッチフレーズに入っているのはさすがやけど、
これ以上「考察」するといやらしいと思われるからもうやめる
(手遅れかもしれんけど)。
ところで、前回もゆうたけど、坊主の修行は、人里離れる寺にこもって行なわれる(キリ
スト教なども、修道院で自給自足の生活をする)。
哲学者の梅原猛は、今の仏教が腐敗しているとずっと批判しているが、
エライ坊さんが、祇園で遊ぶことは、寺にこもっての修行より高いステージの修行かもわ
からんで
(千日回峰なら、なぜかマスコミに知られるようになり、世間の応援があるけど、
祇園で遊ぶ修行は、顔が指さないようにする工夫、領収証の処理などのチエもいるしな
あ)。
ぼくらも、いろんなものに接する修行をせんとあかん。
それは、オンナだけでなく、ギャンブル、クルマ、趣味、旅行、ついでに事業などにも接
して、漏らさないようにするのや。
「接して漏らさず」で漏らさないのは、あれではなく、「気」やとゆう学者もいるけど、
この場合も、「気」や。
「もっと気を入れてがんばれ」とゆわれるけど、あるところで、寸止めするのはむずかし
い。
どんどん深入りすると、他のことがおろそかになる。
これをチュートハンパと思われるかもしれんけど、
ほんまのチュートハンパは、へタレ、根性なしとかではなく、自分の人生を考えつつ、行
くか戻るかの深い思慮に基づくもんや。
つまり、チュートハンパの最高の形態が、「接して漏らさず」なんや。
これを会得するのは、失敗、挫折などの人生経験だけでなく、シーソーの上でバランスを
取るような感覚がいる。
そして、このツライ、ツライ修行をこなすと、自分と別人格の「寝た子」に振りまわされ
たり、挙句に、年取ってから、カッコ悪いことをしたりせんでええ。
しかも、やるべきほどのことはやったとゆう満足感で死ねる。
これで、藤あや子と二人だけで無人島に取りのこされても平常心でいられる(まだゆう
か)。
|
| ページのTopへ |
|

Copyright (c) 2003 FCC All rights reserved.
|