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[2008/04/06] 「私の復活方法」復活ノート・・・114 おまけ「今日も、ムーズが降りてきた〜きみと漫才を〜」
復活ノート
「今こそ」
地方の商店が、次々と店を閉めてしまって、シャッター街と言われるようにあって久しい
です。
確かに地方の中核都市の駅前は、廃墟のようになっているところがあります。
郊外にできた道路沿いに大型スーパーやファミリーレストランが出店する上、車での移動
が多いので、駅に人が集まることも少なくなったからです。
以前、さびれた商店街を、大人も子供も行きたくなる場所にするビジネスを提案したこと
があります。
しかし、その後、地元の商店にとって、さらに追い討ちをかける事態が起こっています。
ご承知のようにサトウキビ、小麦粉、トウモロコシなどを燃料に回す結果、小麦粉などだ
けでなく、大豆も高騰しているからです。
これらを日本で作っていれば、まだ救われますが、ほとんど輸入に頼っているので、事態
が致命的になっているのです。
今後、大型スーパーが、PB(プライベートブランド)の商品を増やしていけば、在来の
メーカーも、利益率を減らしてでも、それに対抗せざるをえません。
その結果、そのしわよせが、弱小の商店に行くのです。
豆腐製造業も、どんどん減っていると聞きます。ていねいに作っても、
1丁150円では、スーパーなどで売っている100円以下のものには対抗できません
(現在保留されたようですが、「にがり」の規制問題もあります)。
弱小店は、廃業するか、原価を落として、味も落すかの決断を迫られるのです。
かくして、日本中、一つの味ものしかないという状態になっていくでしょう。
どこにもない味を楽しむという食文化は望むべくもないのです。
今は、食文化より食料の確保だという意見もありますが、淋しいことです。
しかし、一部のケーキ屋やパン屋などには客が詰めかけています。全国チェーン店では出
せないものには需要はあるのです。
一人では無理でしょう。豆腐屋でも、酒屋でも、中堅スーパーでも、その地方の商売人が
集まって、地方という基盤の上で、知恵を出しあっていきませんか。
今は、メーカーも、大型スーパーも途方にくれています。
今こそ、復活のチャンスです。
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今日も、ムーズが降りてきた〜きみと漫才を〜
「見る」
前回は、人生でも、国でも、人間が作ったもんは、全部「仕掛け」があるとゆうた。
人生の場合は、自分にあった「仕掛け」を作ることが成功の元やともゆうた。
せやけど、社会の「仕掛け」は自分で決められへん。
青少年を守りたいけど、自動販売機をもっと守りたい
(自動販売機1台の電気代は、一月1万円前後かかるらしい。それが、5,600万台も
あるんやて)。
また、子供を守りたいけど、ケータイやゲーム機はもっと守りたい(いや、子供を守るた
めに、ケータイやゲーム機があるんやとゆう理屈もあるやろうけど)。
これが、今の日本が、いや世界が、文明の「仕掛け」の根幹においている。
そうゆう「仕掛け」を変えることはできないやろな。
今もっているもんを取上げられるのは、誰でもいやなもんや。
としよりに、自動車免許を返上せえゆうても抵抗が多いそうな
(「自分が否定されたようや」とゆうているとしよりがいた)。
人間の知能は、神をも凌(しの)いでいる。
石油や石炭などの化石燃料がなくなっても、温暖化で地球がぐちゃぐちゃになっても、ち
ゃんとやりくりするはずやとゆうのやろな。
まあ、そうゆうことにしておこう(ぼくが生きている間は、「最後の日」を目撃すること
もないやろから)。
「見る」ことが大事とゆうてきたが、なかなかでけんもんや。医者でも、レントゲン写真
で、病巣を見つけるのは技術がいるとゆうやないか。
それと、「見ない」とゆうこともある。
見てはいけないもんや、見る価値がないもんを見ないのは、大人のマナーかもわからん
(地球や文明の現在の様子はどっちやろ?)
子供が、障害がある人を見て、「おかあちゃん、あの人見て!」と叫ぶことがあるけど、
そこまでせんでも、何かをじっと見てしまうことないか。
話をしているときだけでなく、黙っているときでも、相手の顔をしょっちゅう見るもんが
いる(相手が、「彼女」でなくて、単なる友だちでも)。
見られたほうは落ちつかんけど、ぼくも、相手に、鼻の下などにホクロがあれば見てしま
う。あかん、あかんと思うのやけど見てしまう。
以前、テレビの取材をよう受けたけど、すわっている女性レポーターの膝頭の間にすぐ目
がいって困ったことがあった。
相手は、「この変態!」と思うているやろなと思うと余計にそうなる。
今も困っている。毎日、Yの字になっている細道を車で通るけど、Yの字の下の棒のとこ
ろで、分かれ道の安全を確認する。
道と道の間に家があって、その三角の庭に、おばあちゃんが洗濯を干している。
息子と二人住まいのようやけど、息子(ゆうても、ええおっさん)か、
自分のパンツを先頭に干す決まりにしていて、それが、目の動きにぴったりの高さや。見
んようにしているけど、目が一瞬とまる。
その一瞬の間に、色・形が目に入る。
それと、パンティラインを見てしまうのも困る。
女で男でもお構いなしや。
テレビのゴルフ中継の女子ゴルファーが構えているときでも、郵便局で話をしているおっ
さんの後姿でも、まずそこに目が行く。
「誰でも、パンツぐらいはいているわい。もっと大事なもんを見んかい」とゆわれたら、
「そう思います」としか答えられへん。
「見る」とゆう行為は、その人のリビドーに結びついている
(生きるためのエネルギーという意味でのリビドーやけど)。ぼくのは、高校生のような
リビドーのままなんやろな。
また、「見る」と「見える」がある。
以前、ある晩秋の早朝、ごみを捨てに行ったとき、同じようにゴミ袋を持った若い主婦
が、東側から低い坂を下りてきた。
そのとき、まだ下のほうにいた太陽の光がきつくて、その主婦のスカートの中が透きとお
って見えた。その光景が、ぼくの印画紙に焼きついてしもうた。
どうせぼくは下品です。変態です。こうなったら、見たもん、見えたもんを分類する技術
を磨くしかない。みんなも、自分の心が命ずるもんをどんどん見よう。
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