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[2007/04/09] 「私の復活方法」復活ノート・・・68   おまけ「今日も、ムーズが降りてきた〜きみと漫才を〜」 

                 復活ノート

               「人生予備校ビジネス」
前回は、「博士サービス」を提案しました。
今まで培ってきた知識を登録して、誰かに教えたり、また、その報酬として、自分がおぼ
えたいものを誰かに教えてもらうというサービスです。
それも社会資源の活用ではないかと考えたのです。
そのとき、人生を振りかえると、仕事と結婚が大きな要素であるともいいました。
それなら、若い人に、人生の話をするのも、社会資源の活用です。
結婚の話は置いとくとして、仕事のことを聞きたがっているはずです。
専門学校や大学の選択は、自分がしたい仕事のことが頭にあるからです。
しかし、その情報は、マスコミや口コミ、また教師から得たものです。
つまり、その仕事に、人生をかけてきた人からの肝心の情報は欠けています。
「仕事と人」という視点が必要なのです。つまり、職業ということです。
どのような仕事でも、そうなのでしょうが、その仕事に合う「人間的な資質」がないと長
続きをしません。
たとえば、「高齢化」が叫ばれ、介護保険法ができましたが、そのとき、失業者に、介護
の仕事をさせればいいということがいわれました。
しかし、資格を持っていても(つまり実技の訓練をしても)、おとしよりを尊敬する気持
ちがない介護者が大勢います。
それは、医者、看護師でもそうです。
もちろん、試行錯誤を繰りかえして、天職を見つけた人もいます。
しかし、ある仕事について絶望したり、苦しんだり、また、そこから人生の喜びを勝ちえ
た人の話は、人生の使い方において有益だと思います。
もちろん、若い人は、その仕事の将来性を知りたいでしょうが、
外部の者ではわからない内容を聞くことができ、その仕事に対する意識をはっきりするこ
とがができます。
人生ゲームは、別の人生を生きることができますから人気があるのでしょうが、実際にも
う一度行きなおすことはなかなかたいへんです。
希望の大学に入れなかった者は、予備校に通います。
しかし、人生には、誰でも入れますが、意にそぐわなかった人生を、そう簡単に変えるこ
とはできません。
人生をよりよくするための予備校は、親も本人も探していることでしょう。



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          今日も、ムーズが降りてきた〜きみと漫才を〜

                 「イメージ」(1)
「人は、見かけとちがう」ゆうのは、学校の先生がゆうたんやろか。
チョークの粉だらけの背広に、運動靴をはいていても、センスがないと思うなよとゆうこ
とやったんかいな。
もっとも、50年間には、「センス」てな言葉はなかったな。
毎日服を替えてくる男の教師を、他の教師や親が、「伊達をこく」から、「ダテガキ」ゆ
う「あだな」をつけていた(西垣ゆう名前やったから)。
子供なんか、普段着2つぐらいと「よそゆき」一つしかなかった。
どこの親も、服に金をかける余裕もなかったし、そんなことを考えんと、「中身が大事」
ゆうようなことやったんやろ。
その頃は、腋毛を剃る「身だしなみ」もなかったので、女の先生は、下から見上げたら、
ボーボーやった
(中学2年のとき、バレーボールの練習のとき、好きな女の子の脇が見えたとき、頭がくら
くらしたことが忘れられへん。
ぼくの「ヰタ・セクスアリス」の始まりやとどこかでゆうた)。
ところで、「見かけとちがう」と聞けば、鶴瓶の話を思いだす。
師匠の6代目(松鶴)が、若いとき、ミナミの宗右衛門近くの相生橋
(今はたこ焼き屋があるけど)で、酔うて寝ていたら、女の乞食に、「こんなとこに寝て
いたら毒やで。金なかったら貸したげるから、車拾うて帰り」ゆうて、
金を渡されたけど、まだ返してへんとか、また、別の女乞食が、夕方になったら、運転手
が迎えにきて帰るのを見たとかゆうとった。
どこまでほんまか知らんけど、どんな話でも(おとぎ話でも)、おもろいのは、バリエー
ションがいっぱい出てくる。
それやったら、パリッとした服装をしていても、その日の生活の困っているもんもいるか
もしれんし、賢そうな顔をしていて、何にも知らんのがいるかも知れんな。
最近、「人は見た目が9割」とかゆう本が売れているらしい。
人は、しゃべる内容より、しゃべり方とか表情、服装なんかの「見た目」で、
相手を理解するから、それに気をつけゆうことらしい
(抜粋しか読んでへんけど、ええ加減な内容らしい)。
内容はともかく、確かに、ぼくは、「最初の見た目」で、まず好き嫌いを決めているよう
な気がする(逆に、そうされてへんかと緊張する)。
つまり、まず相手のイメージを持つのやな。
絵を描くとき、まず輪郭を描くようなもんやろか。
「イメージ」を辞書で調べらたら、「心の中に思い浮べる像」と書いてある。つまり、
「ほんまもん」とちがうのや。
事件を起こすと、テレビが飛んできて、近所の話を聞く。
誰かが、「いつもにこにこして挨拶をしていたで。あんなことするような人やない」とゆ
う「一方」(この言葉は、テレビのキーワードやな)、
「すぐ逆切れするところがあった」ゆう話も出てくる。
犯人やなくても、ぼくも、君も、ぎょうさんイメージを持っているのとちがうか?





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